【動画翻訳】格闘ゲームにおける上達について

格闘ゲームの上達法というのは他のスキルほど共有されておらず、各々の経験ややりこみによって模索されてきました。折しも、今年夏に梅原大吾・著の『勝ち続ける意志力』が英訳されており、そういった議論も盛り上がっていました。

そこで今回は、以前の記事でも翻訳したCore-A Gamingの動画より、格闘ゲームの上達法に関するトピックを翻訳します。

動画中に出て来るドレイファスモデルに触れて書かれた記事としまして、キヨマツ氏のブロマガがありますのでそちらも是非読んでみてください。(この記事は元々、キヨマツ氏のブロマガに触発されて、翻訳することにしたものです。)

 

元記事:Analysis: Getting Better at Fighting Games

格闘ゲームの上達は主観的で理解しづらい。このトピックについてはこれまでたくさんのアプローチがなされている。しかし、音楽のように確立されたアカデミアがないため、アナリストや教育者、そしてもちろんプレイヤーから知識を持ち寄ることが、我々にできる最大限である。

私はプロのたぐいではないが、それに関する知識を聞きかじったり、君たちが書いたものについて読んできた。さらに、ストリートファイターVが出て以来、このトピックと動画のための洞察を得るために初心者に格闘ゲームを教えてきた。そして、多くの障害のため、単にゲームに時間を費やす以上に上達するための道のりは困難で、各レベルで異なるチャレンジが存在していることに私は気づいた。しかし、全てのレベルにおいて共通なことは、「良くあろうとし続ける」ことである。

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▲今年夏に発売された梅原大吾の『勝ち続ける意志力』の英語版

世界で最も成功しているストリートファイタープレイヤーである梅原大吾は自著『勝ち続ける意志力』の中で

「大会というのは、日々の練習を楽しんでいる人間、自分の成長を追求している人間が、遊びというか、お披露目の感覚で出るものではないだろうか。(中略)そのことに気づいてからようやく、勝つことより成長し続けることを目的と考えるようになった。*1」

と書いている。本全体を通して、梅原は勝利とは自分の働きの結果であり、追求するべきは成長することが強調されている。

それ自体はとても良いが、上達するためにどれだけ基礎を学ばねばならないか考えると、本当に重労働のように感じられてしまう。そして、ゲームではなく外国語を学んでいるような気分になってしまう。ではそのような退屈なタスクを、より面白くするためにはどうすればいいだろうか。

 

(※『シンプソンズ』がカットイン)

「ただ封筒を見るだけ?」

「封筒を見るだけでも楽しい作業にできる。ゲームのようにすれば良いんだよ!」

 

(*1:梅原大吾、『勝ち続ける意志力』(小学館)、第4章「目的と目標は違う」より引用)

 

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▲偉大な先輩である、“音楽家”

そこで我々はよそからアイディアを拝借するとしよう。何世紀も前から上達しようとしてきた、まさに先輩である「音楽家」だ。(*楽器の)スケール(音階)を練習することほど退屈なものはない。19世紀にエチュード(練習曲)が人気となったのはそのためである。エチュードはそれぞれ特定のテクニックの練習を狙いとしているので、君が練習していたとしてもうるさくてルームメイトに首を絞められることはないだろう。例えば、トレモロの練習はせいぜい5分通してできる程度だろうが、同じことは実際の曲で練習することもできる(*もっと気楽に長い時間練習できる、の意)。

この楽しく、目的をもって特定のスキルに特化した練習を行うというアイデアは格闘ゲームの基礎やゲームのルールを学ぶ上でも役立つだろう。このことは私の生徒である初心者プレイヤーを、足払い(*しゃがみ強キック)と投げを繰り返して負かしていたときに思いついたことだ。私は「投げは投げ抜け」「足払いはしゃがみガード」と繰り返し伝えるのに疲れていたので、おふざけで『足払いと投げゲーム』というゲームをつくった。ルールは以下のとおりだ。

 

・攻撃に使えるのは足払いと投げのみ

・ジャンプしてはいけない

 

このようにゲームを2種類の攻撃に限定し、ジャンプを制限したにも関わらず、学ぶ上での多くの問題を解決してくれた。なにより最初に、以前の動画*2でコメントしてもらった、格闘ゲームで最も難しい「自分と同じレベルのプレイヤーの確保」をルールで合わせることで実現している。もちろん、よりうまいプレイヤーが歩き投げなどによって『足払いと投げゲーム』に勝つであろうが、心が折れる7割ダメージの補正切りコンボを喰らうことはない。“彼女”によって。

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▲ 7割減らす “彼女”

ゲームをシンプルにすることで、プレイヤーは何をしたらいいのかわかるようになる。多くの人は自分で反撃確定する足払いを放つことで攻防を学ぶようになるし、2ラウンド先取の競争的な環境でやれば彼らにとってもゲームとして感じられるだろう。「相手をぶちのめせ!」

『足払いと投げゲーム』でうまくなったのなら、より多様な攻撃、例えば中段やジャンプ攻撃を教えればいい。通常の2本先取の試合をやらせることは、当たり前に聞こえるだろうが、すぐに精神病院のようなトレーニングモードに閉じ込めず、ゲームをゲームとして保つことで、より上達する欲求を持ち続けることができ、そうすればそれが後々トレーニングモードを使う欲求へと変わる。プロゲーマーのXianが指摘するには、「家を建てる時のように、基礎の石を次々と集めていくことから始めればいい。そうすれば家の構造が強くなるように強くなれる。」私はここに、家を建てることに苦痛が伴う必要がない、ということを付け加えたい。

(*2:https://www.youtube.com/watch?v=AGrIR_jlLno このサイトでは未訳)

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▲Xianの言葉

 

初中級者のステージをクリアしたのち、あなたは中間層、「ドレイファスの技術習得の五段階モデル*3」でいうところの「上級者」に到達する。「上級者」はドレイファスモデルの三段階目に位置する。最初の2段階は「初心者」と「中級者」と呼ばれ、後半の2段階は「熟練者」と「達人」と呼ばれている。

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▲いわゆる「ドレイファスモデル」の5段階

しかし、「上級者」が他の2つの段階と異なっているところは「恐怖」と「不安」である。このレベルの人間は、自分がどれだけちっぽけで力がないか理解できる程度に上達している。以下のダニング=クルーガー効果*4におけるチャートにおける底の部分に当たる。

 

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▲ダニング=クルーガー効果の表。横軸が「経験の量」、縦軸が「自信の強さ」。「上級者」はちょうどマウスカーソルの位置にあたる。

この不安に対処することで、疲弊よりも恐怖を呼び起こされる。また、この段階より以前では、もしルールがうまく働かなかった時に自分の間違いに自責の念を感じるより、ルールの把握が不十分であったと合理化する。例えば、(*すかし下段を受けた時)「おお、下段ガードする必要があったとは知らなかったよ…」となる。しかし、「上級者」の段階においてはすかし下段のことは知っているし、他のルールも把握している。つまり、自分の選択に責任を持つ必要がある段階であることを意味する。既にルールを全て把握しているので、より可能性の高い状況を学ぶことになる。状況を学ぶということは、自分の試合を見て何を間違ったか見直さねばならない。これは言うは易し、行うは難しだ。例えば、あなたはしゃがみガードでこのすかし下段をガードできることを知っていたが、そうできなかったのは準備ができていなかったからだ。あなたはずるい相手が何をしたかわかっていながら準備ができていなかった。ということは今や何に気をつけるのか把握しているので、究極的にはずるい相手はあなたも使える新しい戦術を与えてくれたも同然だ。

 

(*3:一般的に「ドレイファスモデル」と呼ばれる、成人の上達段階についてモデル化したもの。この動画ではDreyfus(2004)より引用。Dreyfus(2004)では車の運転で例示している。

 

*4:自己評価と実際の実力との間に、未熟者、熟練度が低い人ほど高く見積もってしまう認知の歪みの現象を指す。)

 

これらの小さなひらめきが積み重なるので、我々がその晩のトップになろうと考えるほど、一貫した、かつ頻繁な改善が鍵となる。梅原大吾の『勝ち続ける意志力』にも「短い時間でも、成長や進歩と思える小さな発見があればそれでいいだろう。*5」と書かれている。しかし、自分が負けるリプレイを見るのは気落ちにつながるので、勝っているリプレイも見るべきだろう。それこそ、(*勝ちリプレイ鑑賞会を)家族のイベントにしてもいいぐらいだ。

更に言えば、梅原大吾のようなプロプレイヤーでも、今や勝ち負けは気にしていないように見えるが、過去にはひもじい思いをしてでも勝利のみに執着してきたことがあった。彼は自分で健康を害し、そのせいで負けたことを正しく反省しているが、勝ちたいと思ったことを反省する必要はない。看護教育論のパトリシア・ベナー*6によると、

「看護学生が、仕事がうまくいった時の喜びや、失敗した時の後悔など特別な感情を抱いていないのなら、学生たちはさほど成長しなくなり、突然燃え尽きてしまうこともある。」

という。言い換えればこの段階では、負けていらついたり、勝ちたいと願ったりするのは構わない。それだけでなく、次の「熟練者」の段階に進むために必要だとさえ言える。ただし、こういった行為の副作用には注意すること。

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▲狂喜乱舞するプレイヤーの図

(*5:『勝ち続ける意志力』第四章より引用

 

*6:『ベナー看護学』の著者として知られている。)

 

あなたが「熟練者」の段階に到達したなら、プレイヤーはゲームを状況ごとの切り分けで見られるようになる。例えルールやガイドラインとは真逆の状況であってもだ。「ジャンプしてはいけない」などの格言はもはや意味をなさなくなり、結果ではなく、ゲームへの理解に関わるようになる。やわらかく言えば、勝利よりも上達することに視野が移っているということだ。勝利は「上級者」の段階での上達の結果でしかない。

しかし、一方で「熟練者」と「達人」とを分けるものこそが私の一番の興味である。何故なら、物議をかもしている理論でもあるからだ。ドレイファスの研究では「熟練者」は状況を分析して問題を解決しようとするが、「達人」は主に直観に頼ると言う。ドレイファスの研究では以下のようにまとめ直されている。

「基本的に『達人』は計算しない。問題を解決しようとはしない。考えさえしない。『達人』は普通のことをやろうとし、もちろんのこと、それがやれてしまうのだ。」

当然の展開であるが、チェスのインターナショナルマスター*7で認知心理学者のフェルナンド・ゴーべー(*Fernand Gobet)はドレイファス兄弟と論争になり、共著で論文を出し、そこではこのように述べられている。

「ドレイファスやベナーは、『達人』レベルの問題解決における分析的・意識的な役割を軽視している。」

私が思うに、ドレイファスは非競争的なタスク、それこそ日常の運転のようなものについてしかまとめ上げていないのが問題なのだろう。競争的なタスク、高レベルのチェスのような、スキルを高く保つために互いに対応しあっているようなものには対応していない。仕組みを変えてしまうような意志を持ったエキスパートのテクニックは、時にゲームの共通認識やメタの発展さえ塗り替えてしまう。これが梅原大吾が戦術に固執してはならない、と繰り返し強調している理由だ。トップを走るプレイヤーは常に何ができるか客観視し、創意工夫する必要がある。

(*7:チェスにおいて最高位のグランドマスターの次のタイトル。ELOレーティングで高いレートにランクし、国際大会で相応の成績を複数回残さねば獲得できない。)

 

コンボフィーンド「Infiltrationが今まさにプレイしているスタイルは、正直なところ我々がナッシュではできないだろうと思っていたものだ」

 

Infiltration「もし、カプコンが特定の方法で使われるように技をデザインしたというなら、それは忘れろ、と言いたい。私はさらなる使い道を探す。そうして研究を経て新しいテクニックを見つけたりする。既に確立されたある使い道を探す代わりに、ゼロから技を見直し、試し続ける。そうすれば何か新しいことを発見するであろう。」

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▲EVO2016チャンピオン、Infiltration

 

 

充分なスキルと知識があれば、その強さを人々は魔法だと考えるだろう。梅原大吾はこれを10を超えた強さと表現している。(「11まで目盛りはある」)『勝ち続ける意志力』にはトールキン*8がゴーストライターなんじゃないか、と思うような部分さえある。

 

「究極の力というものは、言葉にすることも調べることもできない。しかし究極の力というものは測れないような方向でも強いのだ。言葉にできない、そして誰も調べることができない。唯一、そのレベルの強さを得たものにしかその秘密はわからない。その中に神のような力が備わっており、大勢に働きかけ、狂わせる。」*9

 

クールな、そして驚くべきことを人がやっているのを我々が見たとき、困惑しつつも自分でもやってみたくなる。このことこそが我々にドンドン上達したいと思い続けさせる、ひらめきの素となる。そして、より上達するほど、そのゲームを観客としても楽しめるようになれる。

勝ち以上に上達することの理由はたくさんある。そして『勝ち続ける意志力』というタイトルには『勝つ』という言葉が入っているものの、実際には『意志力』の問題なのだ。

 

(*8:JRR・トールキン。『ホビットの冒険』、『指輪物語』(映画名『ロード・オブ・ザ・リング』)などが代表作。彼の作品中の重厚な世界観は、現在までのファンタジー観に大きな影響を与えたものの一つ。

 

*9:翻訳者は『指輪物語』の日本語版を所有しているものの、残念ながら該当箇所を見つけられなかったため、拙訳での記述になることをご容赦願いたい。)

 

 

参考文献:

梅原大吾(2012)、『勝ち続ける意志力』(小学館)

Stuart E. Dreyfus,(2004), “The Five-Stage Model of Adult Skill Acquisition”Bulletin of Science, Technology & Society, Vol. 24, No. 3, June 2004, 177-181

Fernand Gobet, Philippe Chassy, (2008), “Towards an alternative to Benner’s theory of expert intuition in nursing”International Journal of Nursing Studies, A discussion paper

 

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