【動画翻訳】なぜ弱体化より強化調整をするべきなのか

今回は格闘ゲームの「調整」に関する動画を訳しました。

毎度クオリティの高いCore-A Gamingさんの動画ですが、今回は格段に翻訳したくなるような内容です。

最近はストリートファイター5で新シーズンの調整内容について議論が重ねられていますが、なぜシーズン2の調整が多くの批判を受けるのか。

そして、新規プレイヤーのために敷居を下げたKOF14がなぜ古参プレイヤーに敬遠されがちで、一方でなぜ一部のキャラはプレイするのが楽しく、また一部はそうでないのか、その理由がわかる動画になっています。

(※2/7:一部誤訳、誤記を訂正)

元記事:Analysis: Why We Should Buff More Than Nerf

※ 今回はスピード重視で作業したのでスクリーンショットは用意しておりません。対応する再生秒数を段落頭に表記しておりますので、ぜひ動画を観ながら読んで下さい。

(0:00~)

ほとんど全ての競技の歴史において、一人のプレイヤーが強すぎて支配的であることは競技をダメなものにしてしまう。バスケットボールをぶち壊した男としてはレイカーズのレジェンドプレイヤー、ジョージ・マイカンが挙げられる。6フィート10インチ(*約208cm)の身長を持つ彼は、ゴールの近くに立ち、全てのシュートをカットする戦略で無敵の守りを誇っていた。当時、ゴールテンディング・ルール*1がなかったことは驚くべきことで、1940年台以前はゴールリングにまで届くリーチを持っている選手の強さは計り知れないものだった。

(*1:ゴールテンディングルールとは、ゴールリングよりも高く上がったボールをブロックすることを禁じ、長身選手が徹底的にゴールを妨害することを防いだ。)

(0:30~)

格闘ゲームにおいては、ルール変更は「弱体化(nerf)」と「強化(buff)」の調整によってもたらされる。Twitterで格闘ゲーマーをフォローしている人はみんな、キャラクターバランスは難しいものだと気づかせる“有意義な”会話をしているのを見たことあるだろう。そういった議論は主観的かつ個人的なものであっても不思議ではなく、偏見なく公平な立場を取り続けることは難しい。しかし、偏りも行き過ぎると泣きわめく赤ん坊にしか見えなくなる。そういうときは誰かしら第三者が間に立って「適応しろ(Adapt)」というべきタイミングだ。「適応する(Adapt)」ことは、単にクールなTシャツにプリントされているだけでなく、どんな壁に対してもあきらめず挑戦するときには非常に頼りになる態度だ。

(1:01~)

この姿勢は、フォートウェイン・ピストンズがマイカン擁するレイカーズと対峙したときにも現れていた。バスケットボールで最も強すぎるプレイヤーに対する彼らの戦略はこうだった。早い時間に素早くリードして、時間切れまで相手にボールを触らせずに持ち続けることだ。そしてピストンズはレイカーズを1918年19対18という、NBA史上最も低いスコアで破った。もちろん、これは当時ショットクロックルール*2がなかったためにできたことだし、お察しの通り、そのせいでショットクロックが整備された。最終的にゴールテンディング・ルールができたためにマイカンは“弱体化”されたが、ショットクロックルールは相手チームがマイカンに対峙することを強要するため、彼にとっては“強化”となった。なぜNBAはマイカンに有利なルールを作ったかって?それは弱体化と強化の究極的なゴールが「バランスのとれた状態」を目指すものではなく、バスケットボールのプレイや観戦を「楽しくするもの」であったからだ。人々はバスケットボールを観たりプレイしたりしたいのであって、プロフェッショナルが「厄介な悩み」で頭を痛めるのを観たいのではない。

(※2/7:誤訳があったので訂正しました。)

(*2:ショットクロックルールとは、一方のチームがボールを得てから24秒以内にシュートまで行かねばならない、という遅延行為を防止するためのルールである。)

(1:43~)

ゲームバランスにこだわりすぎることは、お金を稼ぐことにこだわりすぎて不幸な人生を送ることと同じのように、ゲームの楽しさを損なってしまうと個人的には思う。経営学者たちはこのことを“Medium maximization”*4と呼ぶ。ラジ・ラグナタン教授がこのことについて著書に書いているが、「個人が達成したいと思うゴールについて一度忘れて、代わりに中間や平均あたりをゴールにすること」を指す。お金「そのもの」は紙切れと金属片といった大した価値のないものであるように、ゲームバランス「だけ」では価値の無いものである。『ストリートファイターⅠ』は完全に対戦バランスが取れたゲームであるが、全く同じキャラクターしか使って対戦できないのでとても退屈だ。明らかにそれは255ユートピア*5ではないのは、我々がいろんなキャラクターや技を見たいからである。バランスアップデートは珍しいキャラクターの使用率を上げ、多すぎるキャラを減らすようにも使えるが、異なるやり方もある。

(*4:一つの高い目標を目指しすぎると、結果的に孤立してしまう。そうすると社会的な生物である人間は高い目標を達成しているにも関わらず幸福感が減ってしまう。そのため、目標を程よいバランスに保つことで、結果的に目標と社会的接触の双方から幸福感を得て最大化できる、というアイデア。対応する日本語が見つからなかったのでそのまま表記。
 *5:アメリカ、フロリダ州のリゾート地を差している。そのまんま「楽園」的な意味合いで使われている。)

(2:31~)

ひとつは弱いキャラクターを「強化」することだ。「強化」は面白いし楽しい。我々がマーべルvsカプコンシリーズを楽しむ理由がそれだ。「強化」は非常に素晴らしいので、望みすぎると後々ツケを払うことになる悪魔の契約のようにも感じられるだろう。

しかし、私の考える、皆が強化されすぎて起きる最悪の状況というのは「コレ」だ。これは台湾のHung HisHsiエンタープライズによって作られた『ストリートファイターⅡ’』のハッキングロムで、『ストⅡレインボー』と呼ばれる。この作品ではホーミングする飛び道具や、予想できないテレポート、無制限の空中必殺技、キャラチェンジができ、そしてヨガフレイムがヒザから出る。全てのキャラが強化されており、本当にクソゲーでとても楽しく、私は昔何度もコインを投入したことを覚えている。他にできることには、『百裂張り手から波動拳を出して当て、小パンチ>テレポートを繋いで裏回りしてめくり大パンチを当てる』、といった具合だ。

このゲームはクソだけど、今日我々が目にする多くのコンセプトを発展させることとなった。『レインボー』は実際に『ストⅡ’ TURBO』への触媒となった。『TURBO』も、より早いゲームスピード、空中必殺技、ダルシムのヨガテレポート、春麗の気功拳を特徴とし、そしてスーパーファミコンだけで400万本以上売り上げた。『レインボー』が面白く、魅力的だったのは単に全てのキャラが素早く動けて火力が高かったからではない。キャラクターに新しい能力と選択肢を与えたからだ。

想像して欲しい。『レインボー』の代わりに『ストⅡ グレート』というハッキングロムを作り、必殺技なし、コンボなし、投げなし、全キャラが不合理なまでに弱体化されたバージョンがあったとしたら。実は我々はこのゲームを1984年に既にプレイしている。その名は『空手道』と呼ばれ、格闘ゲーム史上最も歪みがなく、最もバランスが取れたゲームであった。

(※2/7:誤記があったので訂正しました。)

(4:15~)

弱体化はバランス調整のためには良い道具であるが、言うまでもなく人々は一般的にそれを好まない。カプコンでさえ、昨年あちこちで流れていたこのパワーポイントにある通りだ(*「キャラを大きく弱体化することはなく、弱いものを強化する」と書かれている)。

しかし、なぜ我々はバランスを良くする目的があるとわかっていながら弱体化を嫌うのだろうか。これは心理学的には人間や類人猿でさえ、「損失回避」に陥る傾向があるからだ。「損失回避」とは失ったものに対して、同じだけ良くなった分と比べて2倍の痛手を感じるというものである。例えば、私があなたに、「コインを投げて裏が出たら10ドル失う」ゲームを提案したとしよう。このとき、あなたは表が出た時にいくらの賞金が得られるなら、このゲームを受けるだろうか。心理学者たちは人々がこのゲームを受けるのには20ドルの賞金、ちょうど負けの2倍の額必要だと感じることを突き止めた。このことは、あなたの使用キャラが1つ弱体化されたとき、同じだけ1つ強化されたとしても2倍の痛手を感じるということである。

この損失回避を利用したマーケティングは常に使われている。限定版商法はなぜ有効なのか?それは買えなかった時に非常に痛手に感じるからである。このことがシーズンが終わる前に、君にストロベリークリスマスのような神月かりんのDLCコスチュームを買わせてしまう要因なのだ。

(5:13~)

弱体化がゲームを崩壊させないための必要悪だというのは理解してもらえるだろうが、全てのキャラが抑圧される代わりに、開発者のクリエイティブな発想によってゲームを良くすることができる。私が考える最も洗練された調整は、実は「弱体化」だった。

『スト4』シリーズの間、リュウの昇龍拳は何度も手が加えられた。当初はどの強さの昇龍拳でも2ゲージ消費すればセービングキャンセルができ、相手がガードしていても安全だった。しかし、数バージョンのパッチを経て、彼らは最も威力のある大昇龍拳をキャンセルできなくした。表面的に見ればがっかりするような調整かもしれないが、このことはプレイヤーに「安全だけど当たっても減らない」バージョンと「リスクは高いがよりダメージが高い」バージョンとを選択できるようにした。もしゲージが充分あるのにも関わらず大昇龍拳を使う選択をしたとき、自分は対戦相手を恐れていないこと、そして動きが読めていることを伝えることができる。(*大昇龍拳2発からセービングキャンセルできる昇龍拳を当てる梅原リュウが映る。)この弱体化がうまいのは、安全性とダメージをそれぞれ犠牲にして新しくプレイヤーに表現する選択肢を与えているところである。

(6:12~)

これとは対照的に『スト5』リュウの昇龍拳の弱体化について見てみると、彼らは単にノーゲージの昇龍拳から無敵を削除しただけだ。実際、どのキャラもノーゲージ昇竜から無敵を削除されてしまい、議論を呼び起こした。この措置に対する最も共通した反応はゲームバランスについてだった。「ガイルの世界へようこそ」や「リュウは死んだ」といった言葉は見たことがあるはずだ。しかし、この調整のゲームの面白さに対するインパクトはどのようなものだっただろうか。

この弱体化はゲームをより面白くしたか?それとも戦略に創造性を与えたか?それともプレイヤーに新しく自己表現する手段を与えたか?

確かにキャラクターをより似通ったものにすることでバランスは良くなるかもしれない。しかし前述のように、ゲームバランスの良さはそのものだけでは価値がない。プロプレイヤーのInfiltrationはこの調整によりプラスを得ているが、それでもゲームが面白くなくなったことに対して肯定できない、と答えている。

(Infiltrationインタビュー動画が映る)

Infiltration「昇龍拳の無敵時間を調整するようなことは、ストリートファイターの歴史の中でも突然過ぎる変更で、個人的にはこのような調整は嫌いです。」

(7:04~)

格闘ゲームで典型的な、「スーパー」、「ウルトラ」、「アルティメット」という具合にアップデートが重ねられるケースについて見ると、全体で見るとキャラにはより多くの選択肢や技が与えられるが、その逆のケースはない。もちろん、より多くのキャラクターやシステムが増えると、ゲームバランスにとっては悪夢のような事態になる。しかし、一方で対抗する手段も増えるのであれば、厳しい組み合わせもなんとかできそうに思えてくる。例えば、より多くの必殺技や、ウルトラコンボや、イズムのようなものから選ぶことができるのならば、だ。プレイヤーは自分のキャラクターがカッコいい新技を出すのを見たいのだ。

極端な弱体化や能力の削除などはプレイヤーを憂鬱にさせ、楽しみを殺してしまうので、弱体化はよほど極端なケースのために取っておくか、より楽しめるようなクリエイティブな方法で調整した方がいいと私は思う。たとえバランス調整パッチが無いようなゲームであっても、プレイヤー同士で相談して極端にバランスを崩すものに関してルールを作るだろう。ともあれ、結局今もプレイヤーたちは『MVC2』を永久コンボで、スマブラDXを投げ連で楽しんでいるのだ。現実として壊れたゲームでも楽しむことはできるが、完璧にバランスが取れているゲームは触られすらしないだろう。

(7:55~)

複数のバスケットボール・リーグのルールにおいて弱体化の対象となってきたにも関わらず、ジョージ・マイカンは、自身のようなプレイヤーが絶対恩恵を受けられないようなルールの強い提唱者でもあった。彼は3ポイントラインの導入をバスケットボールに求めた。そうすることで「背が低い選手にも得点のチャンスは与えられるし、ディフェンスが散らばることで試合がファンにとってより楽しめるものとなる」からだ。1979年、NBAは3ポイントラインを導入し、マイカンは彼が予知したとおりの結果を得た。

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