今回はCore-A Gamingさんより、”salt”=「ムカつき、イラつき、怒り、のような感情を示すスラング」に関する動画を翻訳いたしました。動画中、そこかしこで「塩」に関するアイコンやキーワードが出てくるのは、そのスラングゆえです。

この動画では「ムカつき」の原因を分析するだけでなく、FGC(格闘ゲームコミュニティ)における発展系など、様々な面からスポットライトを当てています。

ぜひ小ネタ満載の元動画を見ながらお楽しみください。

 

(元動画:Analysis: The Effects of Salt

 

 

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格闘ゲームにおいて「勝利ゼリフ」は伝統的にキャラの背景と個性をうかがい知れる数少ない機会のひとつである。しかし、初代『ストリートファイター』においては対戦相手を倒すたびに「負けゼリフ」を見ることができる。

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これは1行目で褒めているものの、2行目以降は怒りによる「捨てゼリフ」になっている。このような「負けゼリフ」は「勝利ゼリフ」よりもキャラの人となりを示している。これが格闘ゲームで負かされたプレイヤーの怒りに満ち満ちた負けゼリフ(*や文句、暴言メッセージ)を集めた“ScrubQuotesX”というTwitterアカウントが存在する理由でもあり、ゲーム開発者があらゆる手を尽くしてゲームから“クソさ”を軽減しようとする理由である。今やゲームでは、チェックポイント、コンテニュー、難易度選択、ヒントが施され、もちろん「しろタヌキ」スーツ*1も搭載されている。

(*1:『スーパーマリオ3Dランド』で搭載された初心者救済システム。同じステージで一定回数ミスすると出現するアシストブロックから得られる「しろタヌキスーツ」を入手して変身する。そのステージをクリアするまで完全無敵になる。)

 

Mike Matei「このような“誰でも勝者になれる”系のシステムはめちゃくちゃクソだ。もし自分が下手くそなら、ちゃんと負けるべきだ。」

 

一般的には、ゲームを簡単にすればゲームオーバーの量を減らすことはできるだろうが、面と向かって対戦する競争的なゲームに関してはそうではない。双方とも勝とうとしているからである。そのゲームがいかにお手軽操作に作られようとも、2人のうち1人が必ず敗者となる。

 

(アニメ映像)「ジャンケンポン!ここは僕の部屋だ、以上!」

 

これは1対1の対戦ゲームにおいては、いかなる時も必ず半数のプレイヤーが負けを経験するということであり、結果たくさんの「ムカつき」とそれに伴った「愚痴」を生み出してしまう。

 

Brian F「負ける、気分が悪くなる、そしてプレイをやめてしまうだろう」

Brian F「DBFZはとても簡単にプレイできるが、もし自分より上手い誰かが相手ならプレイしたくなくなるだろう」

Brian F「カジュアル勢は格闘ゲームで圧勝されたいとは思っていないんだ」

 

これらのゲームでこんなにも人々をムカつかせるものは何なのだろうか。格闘ゲームカルチャーのどこにムカつきの要素が含まれており、どのように我々に影響するのだろうか。

 

実況「あの試合はクるだろうね」

実況「前のラウンドで勝っていたはずなのに」

(アケコンを叩きつけるプレイヤー)

 

答えはScrubQuotesXにある。これらのコメントを目にしたとき、何度も繰り返されるテーマが奥底にあることに気づくだろう。公平さである。

 

フェアに扱って欲しいという概念は霊長類にも見られる。2匹のオマキザルを隣同士のオリに入れた実験がある。一方が仕事のごほうびに与えられたキュウリを食べた後、隣のオリのサルが同じ仕事をしてより美味しいブドウを食べているのを見たときの行動がこれだ。

 

番組司会者「また石を渡してくれます。お返しにキュウリを再び与えると…」

(キュウリを投げ返してくるサル)

 

結果は本能的な怒りだった。この実験結果は同様の実験へと発展し、あるものはオオカミにブザーを鳴らさせ、エサを与える実験を行った。研究者によると、

 

「不公平が最大に達すると、彼らはブザーを鳴らすのをやめた」

「あるオオカミは非常にイラついてしまったためだろうか、装置を壊してしまった」

 

とある。オオカミは文字通り、怒りのあまり「切断」して「コントローラー」を破壊してしまったのだ。

 

このように人間と同様に見られる行動はとても興味深いが、実験はあくまで意図して不公平なシチュエーションに置くものである。だが格闘ゲームにおいては「不公平に見える」シチュエーションに置かれてしまうことが多く、それは大抵、必要な知識やスキルが不足しているからである。

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例えば、もしあるプレイヤーが『ストリートファイター』でガードする方法を知らなかった場合、このような足払い連打から抜け出ることはできないだろう。いかにボタンを擦ろうと状況は変わらないからだ。ムカついたプレイヤーはこう言うだろうね。

 

ムカついているプレイヤー「ボタンが壊れてる!」

 

もしボタンに異常がないことを理解した場合、彼は相手のプレイを卑劣だと文句を言うだろう。

 

ムカついているプレイヤー「足払い壊れすぎ」

 

このような文句を私は「ヘタクソの祈り」*2と呼びたい。

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「コントローラーがおかしい」

「さもなくば、お前のプレイは卑劣だ」

「さもなくば、スキルのいらないプレイをしている」

「さもなくば、そのプレイは楽しくない」

「さもなくば、勝利のことしか頭にない」

(*2:キリスト教の最も代表的な祈祷文である「主の祈り」(Lord’s prayer)をパロディにしたもの(Scrublord’s prayer))

 

我々は皆、この言い分がナンセンスであることがわかるだろう。先の例では彼はガードの方法を知らないだけなのだから。もちろん、ここで目を白黒させるのは簡単だ。彼のムカついている原因が無茶苦茶なのは明らかなのだから。でも高いレベルのプレイにおいても人々はこのようなことを言いがちだ。足払いをガードする方法は多くの人にとって自明だろうが、サガットがなぜ足が当たってすらいないリュウのこの攻撃を食らうのか理解できる人は多くはない。

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通常、この攻撃はしゃがんだ相手に対しては攻撃が高すぎるために当たらない。筋が通っている。しかし、もし攻撃を立ちガードした後にすぐしゃがんだ場合、ごく僅かな時間、「見た目しゃがんでいるのに、立っているときの喰らい判定としてゲーム側が処理するタイミングがある」からこれが起こるのだ。これがリュウが虚空を蹴っているように見えるにも関わらず、サガットに攻撃を当てられる理由である。初めてこの状況に陥ったことを認識したプレイヤーが、ゲームエンジンのバグを利用した不公平なズルでボッタクられたと感じるのは無理もない。

 

ムカついているプレイヤー「バグを利用しているだけだ」

 

しかし、この現象を100回ほど見てきたプレイヤーたちには、「F式」(*英語では“fuzzy guard break”)と呼ばれ、ゲームに壊さない程度にほんのひとつかみの深みを与える選択肢として認識されている。このような認識の違いが、人々が「もっと腕を磨けよ*3」と言う理由である。うまく反撃することができるようになるまで不公平なように思えるだろう。

(*3:いわゆる、“Git Gud”=“Get good”を崩したスラング。主な使用用途は敗者への煽りで、「もっと上達しろ、雑魚」「もっと腕を磨けよ、雑魚」という文脈で使われたりしているが、転じて今回のように「上達すること」「やりこむこと」をおどけて表現したりするときにも使われる)

 

もちろん、「腕を磨けよ」案件は全て、エリート主義のように聞こえてしまうだろう。しかしあなたの文句が全て妥当で、単にイラついた結果ではないと断言できるだろうか?Seth Killianは、双方のプレイヤーに「Winボタン」をつけた格闘ゲームは非常に“ちゃち”になると指摘している。以下のような思考実験がためになる。「Winボタン」について「ヘタクソの祈り」は全てに当てはまっているからだ。

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▲押すだけで勝てる「Winボタン」が搭載されている例

「Winボタン」を使うことは、

卑劣であるし、

スキルがいらないし、

プレイしていて楽しくないし、

そしてプレイヤーは文字通り勝利のことしか考えていない。

 

しかし、そのゲームは完璧に公平ではあるのだ。双方のプレイヤーに「Winボタン」があるのだから。

しかしこの新しい「Winボタン」は本来のゲームプレイを理解している人たちにとっては信じられないほど不“公平”であることを理解して欲しい。

 

(ラウンド開始時にお互いがWinボタンを連打する)

負けたプレイヤー「このWinボタンは地上戦を否定するよな…」

勝ったプレイヤー「腕を磨けよ、ヘタクソ」

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ではなぜ、同時にこんなにも公平でかつ不公平になるのだろうか。それは“公平”さとは3つの完全に異なる、相反しない経路で作用するからである。

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最初のものは同一性と呼ばれ、何かしら与えられるものは全員に与えられるべきで、あるいはそうでないなら全員に与えられないべきである、という考えである。「同一性」は競技者が同じスタートラインからスタートする場合に好ましいと考えられる。全てのプレイヤーは、勝つのに必要なラウンドは同じであるし、同じキャラクターを選べるし、同等のシステムのボタンにアクセスすることができる。たとえWinボタンであっても、だ。

 

しかし、個人性をあまりに侵害する場合は「同一性」を好まない。例えば同じキャラを選ぶことを強要されるときがそれだ。カート・ヴォネガット*4は『ハリスン・バージロン』という風刺のきいたディストピア世界を執筆した。その世界では全員が同質であることが求められ、賢い人間は思考を邪魔するためにノイズ発生機を、力があるものは重りを、美しいものはマスクの着用を求められている。カート・ヴォネガットはおそらく弱体化(nerf)よりも強化(buff)を好んだのだろう。

(*4:アメリカ人小説家。故人。SFジャンルの小説を多く発表しており、風刺、皮肉を散りばめたものが多い。映画化もされている。『スローターハウス5』などが有名)

 

2つめは「当然性」*5と呼ばれるものだ。この考え方は、ハードな働き、高いスキル、創造性、あるいはずる賢さを以て成功した場合、その稼ぎは全て個人の自由として受け取ることができる、というものである。この考え方の元では、もしトレモでたくさん研究して、型破りな戦略や、おかしな現象、見かけ倒しの判定や、永久コンボを見つけ出した場合、それは有望なツールや注意すべきものとして扱い、権力者(*開発のえらい人)にすがるような真似はしないのだ。ただ、このような無骨なウェスタン精神はゲームがほとんど修正されず、苦情は(*eメールではなく)現実の、自分で文字を書いて、切手を貼り、実際に買ってこなければならない手紙で送りつけていた時代の話である。

(*5:“deservedness”。日本語では表現しづらいが、「しっかりゲームをやりこんだ者は報われ、その恩恵に預かるべきで、それに横槍を入れられるような出来事は不公平だ」という感覚である。やりこみを否定するようなシステム、技、トーナメントルールに対して感じる不公平感はこのカテゴリに当たる)

 

3つ目の公平性は困窮・不利である。これは、「持たざる者」にはなにかしら手助けされるべきという考え方で、時に「持つ者」に対価を払わせる。この構造は「社会正義」としても聞いたことがあるだろう。それは逆転要素や、バランス修正パッチ、ダメージ補正、そして『Skullgirls』の永久コンボ防止システムなどによってもたらされる。これらの措置はゲームがぶっ壊れていないことをプレイヤーに確信させ、競争的であることを示すために必要とされている。が、もちろん、それらはとても主観的な要素だ。

 

 

ストリートファイターⅡの気絶システム(*スタン、ピヨり)がたくさんの怒りを生むのは、「困窮・不利」(*は救われるべき)というコンセプトを激しく害するからだ。あなたは既に不利なプレイをしており、対戦相手にメッタ打ちにされているのに、ゲームはこのように提示するのだ。

 

「あなたは大変まずいプレイをしていますので、今から動けもしないし、身を守ることさえ許されなくなりました」

「指をくわえてさらにボコボコにされるのを観ていてください」

 

という具合に。このようなレッセフェール、自由主義のような「富めるものは一層富める」システムは非常に不公平に感じられるので、かつてゲームセンターのローカル・ルールで「気絶状態の相手を殴ってはいけない」というルールさえ作られた。いわゆる、「悪いけど、うちではそいつはナシだ」というやつだ。アーケードのルールは昔の韓国の鉄拳シーンでさえ作られており、それは世界最高峰のプレイヤーのホームでも存在していた。

 

UYU|Qudans「もし、しゃがパンやしゃがみキックを出したり、風神拳を避けて浮かせ技で確定反撃したりすると、それははっきりとバッドマナーとして扱われていました。私がプレイしていた頃はマシになっていましたが、それでも文句の対象ではありました」

 

しかし、個人のルールを既存のゲームに充てがうという行為は、自身をゲームの開発やコミュニティの「王様」として扱うようなもので、しかもその権限はほんの一握りの、あなたと口論して時間を無駄にすることを選ばない人にしか及ばない。もし本当に変えたいのなら、開発者たちにそれを知らせる必要がある。SNSのおかげでスマホを持つすべての人は誰に対して何の文句でも言えるようになり、また今日ではゲームもしょっちゅう修正されるようになったため、実際に影響力を持つようになってしまった。結果として、鉄拳のデザイナーたちがこのような振る舞いをしても不思議ではない。

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Markman「配信を観ている鉄拳コミュニティの人たちになにか伝えることはありますか?」

(原田勝弘プロデューサー、「クソリプを送るのをやめろ」と書かれたTシャツを見せつける)

Markman「これが言いたいことの全てだと思います(笑)」

 

しかしゲームデザイナーにとっては、既存のゲームに対する文句は飯のタネにできる。非常にムカつく「気絶」というシステムは、ゲームの歴史の中で最も象徴的な特徴の一つへと昇華された。

 

Ed Boon氏(*『モータルコンバット』開発者)「私を悩ませ、そして私の愛した『ストリートファイター』の特徴は対戦相手をピヨらせることです。ピヨらせられることはとても気分が悪いですし、ピヨらせている側としては最高の気分でした。

私はその爽快感は残したまま、相手の気分を悪くしない方法を望んでいました。そのため、『気絶』を戦いの最後に持ってきたのです」

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▲『モータルコンバット』のFATALITYシステム

 

ゲームデザイナーにとって、プレイヤーのイラつきはイノベーションの原動力となる。最もイラつきをもたらし、しかも基本の一つである動きがある。『ストリートファイターⅡ』の「投げ」である。魔法のように例えられることさえもあった通常投げは、「勝者総取り」のゼロサムゲームであった。先に近距離でボタンを押したプレイヤーが相手を投げられ、大ダメージと画面位置で大きなアドバンテージを得られるのだ。もしプレイヤーが即時の入力と、見かけどおりとは限らない投げ間合いを理解しているのなら、対戦相手をぬいぐるみのようにポンポン転がせてしまう。そして、古きアーケードの日々を知る人からそのような行為が喧嘩の種になっていたことを聞かされるだろう。

 

そのため、『スーパーストリートファイターⅡX』が登場したとき、開発は「投げ抜け」を導入した。対戦相手が投げを入力した13フレーム以内に投げのコマンドを入れた場合、ダメージが半減するだけでなく、文字通り立って復帰できるのだ。このシステムでなだめることでプレイヤーの怒りレベルを下げ、そして近距離戦を挑むプレイヤーに報いている。最近の格闘ゲームにまで引き戻すと、「投げ抜け」はノーダメージで投げを解消でき、ゲームによっては一方のプレイヤーが画面位置で大きなアドバンテージを得ることができる。

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ここで注記しておきたいのは、死海で泳ぎながらリコリス飴*6を食べているようなイライラ“塩”野郎であっても画面位置で大きくアドバンテージを取られても文句を言わないところである。

(*6:ヨーロッパにある、塩フレーバーが存在する伝統的なドロップ飴。非常に「人を選ぶ味」をしている)

 

それはこのアドバンテージが先の「公平性」の3要素いずれも害さないからで、投げ抜けがいつまでも採用される理由であろう。誰もそのことに文句をいうほど腹を立てていないのである。近代格闘ゲームやゲーム全般は過去のゲームのイノベーションの蓄積であり、それは増え続けるプレイヤーたちのニーズに基づいたものである。しかし、無慈悲で過酷なゼロサムなゲームデザイン、見境なく一方のプレイヤーに報い、そして生じるイライラを全てもう一方に押し付ける、そんな日々は絶えて久しい。誰がそんな退行的な時代に戻りたいと思うだろうか?コメント(*元動画)で今までに経験した最高にムカつくことを教えて欲し…

 

(電話のなる音)

 

動画作成者Gerald Lee「Cory、どうしたんだい」

「大丈夫かって?今レコーディング作業中で、君の電話が水を差したけれど…。冗談だよ、大丈夫。どうかしたの?」

「え、そのタイトルは何だい?」

「OK」

「マジか」

 

格闘ゲームの深い闇の中、そこでは史上最も残酷で、最もサディスティックな格闘ゲームの競技シーンが展開されているそうだ。日本国外ではリリースされることはなく、噂ではそのゲームをプレイした人は高ナトリウム血症になり、文字通り中毒になってしまったという。

1994年に発売されたそのゲームはこう呼ばれている。

 

『美少女戦士セーラームーンS』

 

 

実況「えええ?なんて汚いめくりなんだ!」

実況「おおおお、オーマイゴッド!オーマイゴッド!5割は減らしたぞ…!」

実況「公平!これは公平です!(笑)」

 

見ての通り、みんな公平なふりをしているだけである。このゲームには、抜けられない投げ、補正のかからないダメージ、反撃のない無敵昇龍拳、ダッシュキャンセルのかかる通常技、ガードキャンセルからいかなる必殺技も出せ、体力が減ったときには究極の超必殺技が用意され、そしてプログラムエラーのためだろうか、ヒット時よりガード時の方が体力が減る飛び道具が搭載されている。このキャラクター(*ローズ)のバックステップは性能が良すぎると思ったことはないだろうか。セーラーウラヌスはそんなバックステップはクソだと言う。

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セーラーウラヌスの字幕「そんなものを『バックステップ』だとでも言うの?」

 

(*ザンギエフに対しても)彼女は「そんなものも『コマンド投げ』だとでも言うの」とさえも言うだろう。

 

実況「Missing Person選手、なんとか取り戻したいところですが…」

実況「あーっと、これはMissing Person選手にとっては痛い!」

実況「圧倒的に不利な状況です。ウラヌスには体力が残ってません」

実況「Missing Person選手苦しい…!」

実況「でもなんとかしてくれるでしょう…」

 

(コマンド投げを決めるウラヌス)

 

実況「おおお!」

実況「もう一回投げに行くと思いますよ…」

(高速ステップから再度コマンド投げを決め、ウラヌスの逆転勝ち)

 

あなたはセーラーマーズが笑っている理由がわかるだろうか?それは彼女の異常な削りダメージを弱体化するべき開発会社は既に無くなっているからだ。

 

実況「残り10秒…」

(削り倒すマーズ)

実況「超、超絶削りダメージだ!ジャスティン・ウォン勝利!」

 

このゲームの至る先は「待ちは卑怯」というような文句など聞き入れないアナーキーな世界だ。『セーラームーンS』は格闘ゲームにおける、ジョン・マケイン氏批判*7以前の(*無秩序な)総合格闘技のようなものである。対応しろ、さもなくば目をくり抜くぞ、といった具合な。

(*7:ジョン・マケイン上院議員は、ノールールに近かった黎明期の総合格闘技団体『UFC』を、非常に野蛮かつ暴力的であると激しいバッシングを行った。その際、後述の「闘鶏」という表現も使っている。その批判を回避しようと奮闘した結果、アメリカの総合格闘技団体はルールの整備、コミッション制の導入などを経て、現在のユニファイドルールへと結実する)

 

トロントの『セーラームーン』コミュニティが、このような“嫁キャラ”によるノールールの闘鶏のような戦いを楽しめる、それ自体が驚愕に値する。彼らが「ムカつき」をゲームに適応するための原動力の一部としていることは明確で、豪腕ゲーム開発者に、「ある面では良い要素」をなんでもパッチで削除させてしまう、そんな手段の代わりとしているのだ。

 

2018年、流行に乗り遅れてはならない。

 

「まだマイクロスに怒っているのかい?」

「今だってそうよ」

 

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